平成最後! 八坂神社のぼんでんまつりに行ってみた!


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平成31年1月12~13日にかけて所用で実家のある横手に帰ることになった。

冬、秋田、と来れば誰がなんと言おうと、小正月行事!ってことで、帰省中に見物出来そうな小正月行事を探ってみた。

そこで、見に行けそうだなとなったのが、かつてはけんかぼんでんの異名をとったという「八坂神社のぼんでん」(大仙市清水=旧中仙町)。

色々検索すると1月16日に近い日曜日に開催となっているので、今年は1月13日だろうと思うものの、どこにも今年度の開催日情報がない。

そこで、前日12日に最寄の道の駅「道の駅 なかせん」に電話で問い合わせてみたところ、今年はやはり1月13日に開催されるとのことで、ウキウキ気分で行ってきた!(前日の12日夕方にはどんど焼きが行われるそう)

道の駅なかせんの方から、奉納は9時頃からだけど、駐車場が一杯になってしまうかも知れない、というアドバイスを頂いたので少し早め、8:30頃着けるように家を出た。

通称角六線を使い、予定よりやや早く神社に到着。鳥居前に旗が立ち、祭りの雰囲気が感じられた。神社の中では数名の方が何やら準備をしている。

境内には瓢箪形の池があり、そのくびれた真ん中に橋を渡して本殿へ道が続いていた。

車の温度計は-9℃を示し、池からは蒸気霧が上がるほどの寒さだった。

中にいた方に話を聞くと、やはり奉納は9:00頃からということだったので、神社横の駐車場で待機することにした。

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何年前に設置されたかは不明だが、神社の前の看板には毎年1月16日、15本のぼんでんが奉納されると書いていた。

(開催日も変更されでるし、数年前には7本奉納という記事も見だがら、そこまで多くのぼんでんは見れねべな)

と思いつつ、待てども待てども、9:00を過ぎてもぼんでんは一本も来ない。

遠くにぼんでんの影が見えたので、廻りぼんでんの様子を見せてもらうべく、近くに行って、お話をしてみたところ快諾頂いた。

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見せて頂いた団体の方が42歳を迎えるそうで、丁度そのお宅へ廻って行くところだった。

県南で広く唄われているぼんでん唄をゆったり唄い、唄がおわると、ぼんでんを持ち上げ振り回す。これを3度繰り返した。

振り回す度にぼんでんについた鈴と御幣がなり響き、金のモールが陽光を反射して、神聖で美しかった。

ぼんでん唄は二節目までは一人で唄う。二節目で秋田長持唄のような節回しになり、三節目、四節目はみんなで唄う形式で趣き深い。

大きさは3mほどで、横手や金沢のぼんでんのような「ぼっち」がなく、大きな御幣を多数鉢巻きにあたる部分に取り付けられているところは川をわたるぼんでんで知られる伊豆山神社のぼんでん等と同様だが、モールでキラキラ光るように飾っているぼんでんは、初めて見た。

派手な頭飾りはないが、饅頭形の物を先端に乗せていた。これは、秋田市の三吉神社はじめ多くのぼんでんにも見られる「ほおずき」と呼ばれるものと同様のものだろう。

みなさんが手に持つ木札には八坂神社の社名の他、一枚一枚に異なる祈願内容が書かれており、唄が終わるとそれをぶつけあっていた。

廻りぼんでんの様子を見せていただいた団体の方にお礼を言い、八坂神社に戻ると時刻は9:30を過ぎていた。

しかし、まだぼんでんは集まらず、結局、集結し始めたのは、10:00頃。神社の中では神事が始まった。

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最初に来たのは地元、清水小学校のぼんでん。写真には写っていないが、小さい子から大きい子までたくさんの児童がいた。

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それもそのはずで、この日は日曜にも関わらず登校日で学校を挙げてぼんでんに参加してるということだった。みな買い物袋を手にしていたが、お菓子を拾うためのものだという。

一の鳥居でぼんでん唄を唄い、本殿へと進む。

本殿前で再び唄いあげ、後から来た大人の団体の人が壁として立ち塞がる本殿へ突っ込む!

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一度押し返されると、体勢を整え、またぼんでん唄を唄い、もう一度挑戦。これもまたダメで、三度目で無事奉納。奉納されると、本殿の中では太鼓が打ち鳴らされた。

本殿の中で祈祷を受けると、お待ちかねのお菓子撒きとなった。高学年が撒き、低学年が拾う。撒く方も拾う方もみな笑顔で、子ども達の賑やかな声が境内に響いた。

清水小の奉納の間、大人のぼんでんが続々と集合したが、その数は僅かに4本だった。

大人のぼんでんも一の鳥居で唄い、本殿の前に進み、そこでも唄を唄って奉納という流れ。
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奉納の際には、前衛部隊が壁役に突っ込んで突破口を開き、その後ぼんでんを突っ込む感じ。

大人の方も二度目までは押し返され、三度目で奉納となった。これはどのぼんでんも同じだった。

で、このぼんでんが押し合いしてる間に、次の団体は一の鳥居で唄ったり、二の鳥居前で待機したり、あるいは、清水の中に入ってぼんでん唄を唄い、ぼんでんを振り回したりしていた。

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ここのぼんでんは、けんかぼんでんの異名をとったというが、見る方には押し合いよりも、この清水に入ったところが、ハイライトと言って良い。

モノクロームの秋田の冬にぼんでんが映えて艶やかで麗しく、そこにぼんでん唄とほら貝が響き、感動的な美しさだった。そして辺りに立ち込める日本酒のにおい。ぼんでんと限らないが、祭りはライブで見て、五感で感じるに限る。近くで見てたご婦人も、「素晴らしい!」と称賛していた。

奉納行事は、1本納まるごとに、奉納した団体の方が本殿の中でご祈祷を受け、その後菓子や蜜柑を撒くという流れがあり、しかも、押し返される度にぼんでん唄を唄うということで、なかなか時間がかかった。どうやら11:30というのが終了目安らしかったが、時間がおしたせいか清水小の児童は途中で帰ってしまった。

最後の団体では裸になる男性もおり、盛り上がりはクライマックスになった。

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全ての奉納行事終了後、保存会の方にお話を伺った。

この辺りでは約200もの湧水があり、その湧水はかつて仙北平野1000町歩の田畑を潤したという。

その湧水を司る八坂神社への信仰から、明治期には仙北平野の各地から300ものぼんでん・福俵の奉納があった記録があるというし、保存会の方の記憶にある所でも30本位は奉納されたそうだ。

今は集落単位での奉納だが、それも近年のことで、かつては歳祝いや厄払いの家ごとに人を集めてぼんでんをあげたが、家ごとではなかなか人集めがしにくくなり、奉納が集落単位になってきたという。

更に、近隣集落と言っても必ずしも八坂神社を信仰してるということでも無いそうで、次第に奉納本数が減ったため、保存会を設立したが、本数減少の歯止めは難しく、今年は特に少ない4本になってしまったとのことだった。

奉納本数減少は確かに寂しく、300とは言わないまでも15,6本でも奉納されていたら、どんなにか盛り上がったろうと思う。

奉納団体の方や見物のお客さんが今年は出店が無いとか梵天売りが来なくなったと口にしていたし、往時を知る方にすれば、いっそう寂しさが勝るのだろう。

それでも、前夜のどんど焼きに始まり、廻りぼんでん、本殿への奉納等の一連の流れは旧い様式のままにあるようで価値があり、清水にぼんでんが映え、凛とした空間に響くぼんでん唄とほらの音は、素晴らしいという他に言葉が無い。

「カマクラとボンデン」(稲雄次)によると400年以上の歴史があるそうで、今後も連綿と続いてほしい行事だと思う。

ばらまかれた蜜柑とお菓子(甥っ子のために4個get‼)と、ぼんでんから落ちた御幣(お守りになるから持っていって、と話された)を手に、横手へと戻った。

(道の駅なかせんや保存会はじめ、多数の方にお話を伺いました。皆様快くお答え頂きありがとうございました。)